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山形地方裁判所米沢支部 昭和46年(ワ)60号 判決 1975年3月28日

原告 佐藤寅雄

被告 小泉庄蔵

被告補助参加人 国

訴訟代理人 叶和夫 榎本恒男 菅野友次 粟野勉 ほか八名

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判<省略>

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (原・被告の地位)

(一) 原告は大正三年四月二五日生であり、昭和二〇年一一月から特定郵便局である関根郵便局(山形県米沢市大字関根所在。以下単に関根局という。)に勤務する郵政省職員たる国家公務員であつて、同四三年八月以降全逓信労働組合(以下単に全逓という。)米沢地方支部関根分会に加入している。

(二) 被告は大正一四年一月一日生であり、昭和二二年一一月郵政省職員となり、米沢市内花沢郵便局を経て、同二四年関根局勤務となり、同二五年二月七日以降同局の局長をつとめてきた。

2  (本件担務変更命令)

被告は昭和四五年九月七日(同年八月三一日内命)、当時関根局の電話交換業務に従事していた原告に対し、「郵便電信電話窓口担当を免ずる。為替貯金窓口担当を命ずる。郵便電信電話窓口担当代務を命ずる。」旨の担務変更命令(以下本件担務変更命令という。)を発した。

3  (責任原因)

(一) 被告は、原告を個人的に恨み、業務上の必要がないのに、原告が全逓組合員であることの故をもつて不利益に扱い、原告を不向きな業務につけて原告の執務を困難ならしめ、原告を極度に困惑させることにより、原告を全逓脱退もしくは退職のいずれかを選ばざるを得ないところに追い込む目的をもつて、その目的実現のために、本件担務変更命令を発したものである。すなわち、(1)~(9)<省略>

4  損害の発生<省略>

5  (まとめ)<省略>

二  請求原因に対する認否と被告および被告補助参加人の主張<省略>

三  被告および被告補助参加人の法律上の主張に対する原告の反論<省略>

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因第1、2項の事実は当事者間に争いがない。

二  被告は、原告が被告の不法行為としてとらえている「担務変更命令により原告を為替貯金窓口担当業務につけた」行為は、国家公務員たる被告が、その職務を行うにつきなした公権力の行使にあたる行為であるから、仮に、これにより原告に損害が生じたとしても、その賠償責任は、もつぱら国家賠償法一条により、国のみが負うのであり、行為者個人を相手とした本訴請求は、この点において失当である旨主張する。

1  そこで、被告が原告を「担務変更命令により為替貯金窓口担当業務につけた」行為が国家賠償法一条にいう「公権力の行使」にあたるか否かを判断する。ただ、ここでは、被告による担務変更命令が、原告主張のような意図、目的のもとになされたものであるかどうかはしばらくおき、まずその法的性質を検討する。

(一)  本件担務変更命令は、郵便局長たる被告が、その所属職員たる原告に対して発したものであり、いわば、原告、被告らの郵政職員としての勤務関係における一場面として把握されるものであるから、まず、郵政職員の勤務関係一般の性質についてみる。

公労法二条一項二号イに定める郵便等の事業は、国家行政組織法に定める国の行政機関である郵政省によつて行われ、これに従事する職員については、国公法二条二項(公労法二条二項)にいう一般職の国家公務員(以下単に現業国家公務員という。)としての身分を有するものである。そして、職員の勤務関係については、一部国公法の適用が排除される(公労法四〇条、国の経営する企業に勤務する職員の給与等に関する特例法七条等)ほかは、勤務関係の根幹をなすともいうべき任免、分限、服務および懲戒等身分関係の発生消滅およびこれが存続中の規律に関しては、同法第三章官職の基準第三節試験及び任免、第六節分限懲戒及び保障、第七節服務、の大部分の規定が適用され、また、これらの規定に基づく人事院規則-職員の任免(八-一二)、職員の身分保障(一一-四)、職員の懲戒(一二-〇)、不利益処分についての不服申立(一三-一)、営利企業への就職(四-四)、政治的行為(一四-七)、営利企業の役員等との兼業(一四-八)等も同様に適用されるのであつて、勤務関係の内容を個別的であれ集団的であれ当事者双方の意思によつて定める労働契約関係とは質的な差があるものというべく、基本的には、公法的規律に服する公法上の関係であるといわざるをえないのである。

なるほど、郵便等の事業内容は、郵便等の経済的な役務を国民に対し、安く、あまねく公平に提供することを目的とする企業活動であり、これに勤務する職員は経済活動に従事することを職務内容としているのであるから、その意味では私企業あるいは公共企業体の職員の職務内容と異るところはないといいうるであろう。しかしながら、たとえ経済活動に従事することを職務内容とするものであつても、職務内容の性質自身から、その勤務関係の性質までが直ちに定まるものではない。

また、現業国家公務員に適用される公労法は、労働条件に関する事項につき団体交渉の対象としたうえ、それにつき労働協約の締結を認め、また、国公法の適用を一部除外する反面、労働基準法、労働組合法等の適用があることとしているのであつて、これらの点からすると、たしかに国公法が全面的に適用される非現業の国家公務員に比し、ある程度当事者間の自治に委ねられている面があるということができる。しかしながら、これも結局は国公法および人事院規則の強い制約のもとにあるのであるから、これをもつて、現業国家公務員の勤務関係が基本的に公法上の関係であることを否定することはできない(最高裁第二小法廷昭和四九年七月一九日判決・裁判所時報六五一号参照)。

(二)  本件担務変更命令は、右のような勤務関係の中において発せられたものであるところ、被告は、郵政省の地方支分部局たる郵便局(国家行政組織法九条、郵政省設置法一二条)の長として、国家行政組織法四条、一〇条、一二条、一四条、郵政省設置法四条二七条等に基づく郵政省職務規程二条により、「その機関の事務を統括し、所属職員の服務を統督し、事務の能率的な遂行を図る」権限を有するものであり、本件担務変更命令は、この服務統督権に基づき、国公法九八条に則つて発せられた職務上の命令としての性質を有するのである。

なお、国公法三五条、人事院規則八-一二(職員の任免)五条、六条一項等にいう「配置換」との関係について検討する。

国の経営する企業に勤務する職員の給与等に関する特例法七条一項一号、四号によれば、現業国家公務員については、国公法の職階制に関する規定(二九条~三二条)ならびに国家公務員の職階制に関する法律の適用が排除され、また人事院規則八-一二(職員の任免)八一条によれば、採用、昇任、転任、配置換および降任等任用処分の定義については、別に指令で定める日前においては、同規則五条の規定にかかわらず、従前の例によるものとするとされてはいるが、現業国家公務員についても「官職」「配置換」等の意義については、右各法規のそれと特段に別異に解すべき理由はなく、これに準じてよいと解されるところ、「配置換」については、「職員を任命権者を同じくする他の官職に任命する場合」をいうと解すべきであり、「官職」とは、「一人の職員に割り当てられる職務と責任」(国家公務員の職階制に関する法律三条)と定義しうるのである。ところで、原告の勤務する関根局は定員一六名の特定郵便局であり(当事者間に争いがない。)、郵便局組織規程(昭和二五・二・一公達九号)によつても部、課の設置は認められておらず、所属職員のなかから主事、主任という職制を置くことができる(同規程二四条)にとどまり、組織としては最少単位を構成しているものというべく、また、<証拠省略>ならびに弁論の全趣旨によれば、同局は、いわゆる総合定員制のとられている郵便局であるため、およそ同局への勤務を命ぜられた職員は、郵政省設置法一二条三項、二七条、郵便局組織規程に定められた郵便局の事務を全般にわたつて行なわなければならない立場にあること、今回の原告に対する担務の変更は、関根局という同一局内において、前担務同様内勤者として、また、依然として、主事、主任ではない一般の職員としての身分のままで、単に現実の分担業務に変更が生ずるにすぎないものであること、が認められる(この認定に反する証拠はない。)のであつて、これらの事情からすれば、本件の担務変更は、官職の異動を伴う意味での配置換にあたるとまではいえないものであり、また、それ故にこそ特定郵便局長たる被告において、これを職務命令としてなしえたものというべきである。

ところで、前記国公法九八条は「職員は、その職務を遂行するについて、法令に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」と、いわゆる忠実義務を規定しており、この職務上の命令は、上司職員の指揮監督権に基づくきわめて裁量的なものであつて、客観的に違法であると認められる場合を除き、命令を受けた所属職員は、これを拒否できないという性質を有するものであつて、法律上指揮監督権を有する上司からの一方的な関係として律せられているのである。

もちろん、私企業においても、労働者は企業内で使用者の指揮命令権に服して労働に従事しなければならず、その意味ではやはり支配服従の関係が存するということになるが、これは、あくまでも、就業規則あるいは労働協約によつて規律された労働契約における当事者の合意にその根拠を有するものであるのに対し、現業国家公務員を含め、公務員の場合には、その勤務関係に入るにあたり、たしかに公務員になろうとする者の同意が要求されるとはいえ、勤務関係の内容自体は国家が一方的に決定したところを、包括的に受容せざるをえず、かつ、それを定めたものは、現実の使用者である任命権者そのものではなく、使用者としての国民を直接代表する国会なのである。そして、前記職務命令権も、前記法条により、包括的に授権されたものであつて、これにより職務上必要な限りにおける上司の裁量権の行使が認められたものと解されるのである。

もつとも、公労法八条によれば、現業国家公務員は、労働条件に関する事項につき団体交渉権を認められ、労働協約を締結できる旨定められているが、企業の管理、運営に関する事項は団体交渉の対象となしえない(同条但書)ものであつて、強い制約のもとにあり、担務変更の基準につき、これを団体交渉の対象となしうる場合があるとしても、そのことから直ちに担務変更命令そのものの性質が私的自治に委ねられた対等当事者間の関係であるというわけにはいかない。

(三)  以上のとおり、本件担務変更命令は、さきにみたような勤務関係の内におけるきわめて裁量的な職務命令権行使の一態様として、その公権力性を否定しえないものというべきである。

(四)  本件担務変更命令が右のような性質を帯びるとすると、それは国家賠償法一条にいう「公権力の行使」にあたるであろうか。

当裁判所は、以下のような理由により、国家賠償法一条にいう「公権力の行使」とは、国又は公共団体の作用のうち、国又は公共団体が私人と全く法的に対等な立場に立つて行う私経済作用と、同法二条によつて救済される営造物の設置、管理作用を除くすべての作用をいうものと解する。

なるほど、国家賠償法一条制定の直接の契機は、従前、国家統治権に基づく優越的な意思の発動たる作用であることを理由として民法による損害の救済を否定されていた領域の救済を図ろうとしたものであつたといいうるであろうが、憲法一七条に国及び公共団体の賠償責任が明定され、国家賠償法がこれを受けて制定されたものであることを考えれば、必ずしも従来の沿革にとらわれることなく、民法と国家賠償法の適用領域を決すべきである。本法施行前において、国家統治権に基づく優越的な意思の発動作用については国家の責任を否定し、それ以外の作用については民法が適用されたことがあつたのは、国家無責任の分野をできるだけ狭め、被害者の救済をはかろうとの努力がなされたためであつて、このような従来の解釈をそのまま国家賠償法の解釈に持ち込む必要はない。

社会の発展に伴い、行政機能が複雑化し、国民生活の多方面にわたつて行政が介入し、その作用を及ぼしていることは周知の事実であり、このような現在の多方面の行政作用のうち、狭い意味での国家統治権に基づく優越的な意思の発動たる作用についてのみ国家賠償法の適用領域とすることは当をえたものとはいえない。行政の多様化に応じたものでなければならない。

民法七一五条一項但書は使用者の免責事由を定めているのに対し、国家賠償法一条には、このような免責規定はない。たしかに、現在の民法七一五条一項但書の解釈判例によれば、同条同項但書が適用されて使用者が免責される事例は極めて制限されてきているのであるが、このような免責規定が存在する以上、実際の救済手続たる損害賠償請求訴訟等において使用者(国又は公共団体)側からの抗弁として免責事由が主張され、その存否の判断のためかなりの日時等をついやすという事態もあるのであつて、やはり被害者の救済の十分性、迅速性という観点からみた場合、免責規定のない国家賠償法一条の方が被害者の救済に有利であるといえるのである。

民法七一五条三項によれば、被害者に損害を賠償した使用者-は、加害者たる被用者に対して求償権を有するのに対し、国家賠償法一条二項においては行為者たる公務員に故意又は重大な過失があつたときのみ国又は公共団体が求償権を有する旨定められている。このように求償権を制限したのは、軽過失の場合でも、一々公務員個人が国に対して求償義務があるということでは、公務員が職務執行について臆病になり正当な職務の執行さえ充分に行えないことを恐れたからであるとされており、軽過失の行為ならかまわないという趣旨ではないこと、もちろんである。)、これにより多様化された行政の円滑な運営が期待されるのである。

このような諸点を考慮すると、国又は公共団体の作用のうち、国又は公共団体が私人と全く法的に対等な立場に立つて行う私経済作用についてまで国家賠償法の適用領域にとり込む必要はない反面、それ以外の作用については、同法二条より救済される場合を除き、すべて同法一条の適用領域としていくべきである。そして、被害者が本件のような同一組織内の公務員の場合であれ、まつたくの第三者の場合であれ、区別をもうける理由はない。

そして、本件担務変更命令は先に(一)ないし(三)で検討したとおり、その公権力性を否定することはできず、私人と全く法的に対等な立場に立つてなされた私経済作用でないことが明らかであり、国家賠償法一条の「公権力の行使」にあたるものというべきである。

2  原告は、仮に被告による本件担務変更命令が国家賠償法一条の「公権力の行使」の外形をそなえているとしても、それが本件のような(原告の請求原因第3項(二)の(1)(2))意図、目的でなされたものである以上、それは、「職務を行うにつき」なされた「公権力の行使」とは、とうてい言えず、もりぱら民法により行為者たる公務員個人が、あるいは国とともに依然として公務員個人も責任を負うべきである旨主張する。

しかしながら、公務員の職権乱用の行為でも、その行為の外形上職務執行と認められるものは、当該公務員にその行為をなす一般的権限がある限り、その公務員の内心の意思、目的を問わずに「職務を行うにつき」なされたものと解すべきである(最高裁第二小法廷昭和三一年一一月三〇日判決・民集一〇巻一五〇二頁)。これは、民法七一五条の使用者責任の要件としての「其事業の執行につき」にあたるか否かにつき、いわゆる外形標準説を採るのと軌を一にすべきである。

被告が原告に対して本件担務変更命令を発する一般的権限を有していることは先に検討したとおりであり、<証拠省略>によると、被告は関根局長として、本件にいたるまでの間、毎年同局職員に対し、その担務変更をそれぞれ命じてきていたところ、これは通常口頭で当該職員にその旨を命じたうえ、簿冊式の辞令簿にその承印をさせる方法によつており、本件発令にあたつても、発令日の約一週間前に同局近田信吉主事をして原告に内示させたうえ、右の方法によつて発令したことが認められ(これを覆えすに足る証拠はない。)、右事実によれば、その発令が外形上も職務執行と認められることは明らかであり、仮に本件担務変更命令に原告が主張するような意図、目的があつたとしても、やはり、国家賠償法一条にいう「職務を行うにつき」なされた「公権力の行使」にあたるものといわざるをえない。

よつて、原告の右主張は採用できない。

3  以上により、被告の本件行為が国家賠償法一条にいう「職務を行うにつき」なされた「公権力の行使」にあたることが明らかとなつたが、被告は、公務員の行為が右にあたる以上、仮にそれにより他人に損害が生じたとしても、それは、もつぱら、国家賠償法一条が適用され、国又は公共団体のみがその賠償責任を負い、公務員個人は、被害者に対して直接個人としての責任を負わないものと解すべきである旨主張し、他方、原告は、公務員の行為が民法七〇九条の要件を充足する以上、同条により公務員個人も、国又は公共団体と重畳的に直接被害者に対して賠償責任を負うべき旨主張する。

この点につき、当裁判所は、以下のような理由により公務員個人に故意があつた場合であれ、過失の場合であれ、すべて、もつぱら、国家賠償法一条により国又は公共団体のみが賠償責任を負い、公務員個人は被害者に対して直接賠償責任を負うものではない、と解する。

国家賠償法を含め、我が国の不法行為法は、「損害なければ賠償なし」との原則に立ち、もつぱら、損害の填補を目的としているのであつて、懲罰的賠償責任、名目的賠償責任等いわゆる制裁的賠償責任を認めてはいないものと解すべきであり、国又は公共団体という支払能力に不安のないものが責任を負担する以上、公務員個人に責任を負わせなくとも、損害の填補という目的が十分に達せられるのである。個人責任を認めることになれば、それは、制裁的機能が前面に出てくるのであり、被害者の報復感情を満足させることが中心になつてしまうのである。刑事責任と民事責任とが明確に分化、峻別されるに至つた現在の法制においては、公務員個人に対する制裁目的は刑事責任の追求によつて果すべきものであるし、また、懲戒権の発動によつても、ある程度制裁的機能を果しうるのであるから、直接被害者に対する関係においては、損害の填補回復の十分性を中心に考えれば足りるのである。

国又は公共団体が、被害者に損害を賠償した場合、国家賠償法一条二項によれば、公務員に故意又は重大な過失があつたときにのみ国又は地方公共団体が求償権を有し、軽過失のときは求償しえないのに対し、被害者に対し公務員も個人責任を負うものとした場合、公務員が被害者に直接賠償するにあたつては民法七〇九条により軽過失でも賠償しなければならないことになる。すなわち、被害者に対して公務員が直接支払つたか、国又は公共団体が支払つたかによつて、公務員個人の最終的な負担が異つてくることになり不自然が生ずるのである。これに対しては公務員に故意又は重大な過失があるときには、公務員個人にも責任を負わせても右のような不自然さは生じないし、また、故意又は重大な過失の場合まで公務員個人の責任を認めないのでは、あまりに公務員個人を保護しすぎることとなつて不当である旨の反論が考えられる。しかし、先にもふれたように、我が国不法行為法は、損害の填補を目的としたものと解する以上、その目的を達するためには、公務員に故意又は重大な過失がある場合であつても、あえて公務員個人に責任を負わせなくても、目的は十分達しうるのであるから、右反論は採用できない。

国家賠償法一条は「………国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」と規定し、民法七一五条の使用者責任の規定の表現方法と対比した場合、国家賠償法一条の場合は、国又は公共団体のみが責任を負うという趣旨に理解しやすいし、また、国家賠償法制定の際に、同法附則において、それまで公務員の個人責任を明定していた公証人法六条、戸籍法四条、不動産登記法一三条等の規定が削除されたことも、国家賠償法施行後は、公務員の個人責任を認めない趣旨であると理解するささえとなる。

以上の理由により、公務員の行為が、国家賠償法一条にいう「職務を行なうにつき」なされた「公権力の行使」にあたる以上仮にその行為により他人に損害を加えたとしても、公務員個人は直接被害者に対して損害賠償責任を負うものではなく、もつぱら国又は公共団体のみが国家賠償法一条により、直接被害者に対して賠償責任を負うべきものである。

これに反する原告の主張は採用できない。

三  以下のような次第であるから、公務員個人を被告とする原告の本訴請求は、その余の事実関係の判断をするまでもなく全部失当として棄却を免れず、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤博 森真樹 藤村啓)

【参考】補加参加申出許可決定(山形地裁米沢支部 昭和四七年六月一六日決定)

主文

原告と被告間の昭和四六年(ワ)第六〇号損害賠償請求事件について、補助参加申出人が被告を補助するため右訴訟に参加することを許可する。

理由

(一) 補助参加が許されるために必要な「訴訟の結果についての利害関係」をどのように解すべきかについては議論の存するところであるが、当裁判所は、少なくとも、次のような場合は、「訴訟の結果についての利害関係」の存在を肯定すべきであると考える。

それは、実体法的にみて補助参加申出人の法律上の地位が論理上参加しようとする訴訟物の内容をなす請求権の成否いかんを前提にして判断される関係にあたるため、右請求権についての判断が将来訴訟上補助参加申出人の法律上の地位が判断されるに当つて参考とされる虞れがある場合である。

(二) ところで、本訴の訴訟物は、被告に対する民法七〇九条に基づく損害賠償請求権の存否である。

ところが、被告が関根郵便局長で国家公務員であること、原告が右郵便局員であることは当事者間に争いがなく、原告が被告の不法行為として主張する行為は、原告の表現によれば、「被告がその必要もないのに原告を配置転換し、訓練もなしに不向き、不慣れな業務につけ、かつ円滑なる業務遂行を妨げ、精神的肉体的に痛めつけ、退職にまで追いこもうとし、その結果、極度の心労による脳神経衰弱症に陥らせた」というものである。

そうすると、補助参加申出人が将来原告から提起される可能性のある訴訟の一つとして民法七一五条に基づく損害賠償請求訴訟があることは、多言を要しない。

そして、本訴の訴訟物の内容をなす原告の被告に対する民法七〇九条に基づく損害賠償請求権の成否についての判断は、補助参加申出人に対する民法七一五条に基づく損害賠償請求権の存否の論理的前提問題を構成し、民法七〇九条に基づく損害賠償請求権の成立が否定されるときはそれだけで民法七一五条に基づく損害賠償請求権も否定される関係にあり、また本訴における被告に対する民法七〇九条に基づく損害賠償請求権の成否についての判断が、前記将来提起される可能性のある補助参加申出人に対する訴訟における民法七一五条に基づく損害賠償請求権の存否についての判断に当つて参考とされる虞れがあることは明らかである。

(三) そうであるとすれば、補助参加申出人は、原告と被告間の本件「訴訟の結果について利害関係」があり、被告のために補助参加をする利益を有するとみるのが相当である。

よつて、主文のとおり決定する。

(裁判官 小笠原昭夫 根本真 二宮征治)

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